久田泰平(久田工芸)

*変わらぬ姿で人々を守り続けていく*

 滋賀県に入り、車で走っていると道路沿いに不思議なくらい頻繁に目にするものがある。
“男の子が飛び出す姿”をデザインした看板「飛び出し人形」。子供の飛び出しによる交通事故を未然に防ぐため、道路の至るところに見られる。

 

つくり手はここ東近江市、久田工芸(看板製造会社)の久田泰平さん。実は、泰平さんが日本で最初の飛び出し人形の考案者である。

 

-「とび太くん」の誕生-

交通安全を目的として、比較的交通量が多い場所に当初設置されていたのは、「立体型横断旗人形」というものだった。これは陶器でつくられていたために、単価が高くついていたのだという。そんな時、旧八日市市社会福祉協議会から「高価でなくて比較的簡単にできるものはないか。」と久田工芸に依頼がかかった。

そして昭和48年、泰平さんがつくり出した試作品が、第一号の飛び出し人形となった。現在は息子の晃弘さんと一緒に制作に努めている。

「とび太くん」(本名:飛出とび太)という愛称は、晃弘さんによって後につけられたものだ。

 

「昔は文字を書いた看板もつくっていたけど、ドライバー向けの看板なのに文字だと読まないやろ。そうでなくて絵だとパッと見ただけで『この辺に子供いますよ!考えてくださいよ!』って分かるやん。」

 

それから40年、とび太くんの存在は勢いを増しながら多くの人に知れ渡っていった。当初のものとは形をほとんど変えず、現在も全国のドライバーに交通安全を呼びかけている。

 

-ものをつくる者の意地-

 とび太くんの制作は、ベニヤ板を切り抜くところから色付けまで全て、久田さん親子の手作業で行われている。久田さんは、一枚一枚の板に手書きで絵を描いていく。

「こだわりと思ってはしてないけどな、絵が好きで看板屋をやってるからな。それに切り抜いた型にスクリーン印刷をしてしまうと、型はやぶれるし、縁は色付けできずに白く残ってしまう。」

 

 久田さんは「切り抜いたそのままの形」をこわさないようにとび太くんを作り上げていく。

中には“オリジナルのとび太くんをつくってほしい”との願いから、顔の部分に似顔絵を求める人や、服のデザインをオーダーする人もいるという。しかしたとえ描く顔や服のデザインを変えたとしても、元の型を変えることは決してない。

 

「輪郭はくずさないよ。頭の丸い形は残したまま、そこに似顔絵を描いていく。この型は絶対に変えない。ここは頑固だ。これがものをつくる者の意地や。」

 

-広がっていく役割-

作業場には3種類の大きさが異なるとび太くんが置いてあった。一つは本来の道路に設置する為のもの。あと2つの小さいサイズは、インテリア用のものだという。例えばフォークやナイフをもたせて飲食店の看板にしたり、名前を入れて家の表札にしたり。また二枚を組み合わせて本棚を作り出した人もいるそうだ。

 

「基本的には、全て仕上げたものを納めているんやけど、学校やPTAから『子供たちが授業の一環で自由に絵が描けるように』と依頼があって、あえて色を付けずに切り抜いたまま納めている物もある。」

 
もともとは子供が事故を起こさないようにとの思いから、つくられたとび太くんだが、現在その役割は少しずつ広い意味を持つようになってきた。滋賀県のシンボルとして、また日用品(TシャツやiPhoneケースなど)のデザインに使用されるほどのキャラクターとして、多くの人に影響を与えている。

 

「最初はまさかこんな風になるとは思っていなかった。今はとび太くんが一人歩きしてるな。」と久田さんは笑って話してくれた。

 

 

“飛出とび太”は多くの場所で、たくさんの人からこれからも親しまれていくのだろう。

※上記の内容はすべて取材当時のものです。